トップページ > お堂・お庵 > 明合大師堂

こんなとこ、どうやって行けってんだ!? お堂・お庵

明合大師堂

沿革・伝承等

明治5年(1872)の記録によると、奥村東には32戸あった。現在、奥村東10戸で、当、明合地区5軒。

●建物
茅葺をトタンで巻いた2間に2間の建物で、昭和元年(1926)に改築された。

●祭祀仏
正面に祭壇を設け、石造りの大師像が祀られ、「昭和元年世話人、松浦角太郎ほか、大工藤原村平」と記されている。

●環境
南北朝の頃より金丸、中庄奥村と称す。(『三加茂町史』)この地域は、旧中庄村の枝村、奥村7名中の一字名の山間部であり、自然に恵まれた景勝の地である。この地帯は水田は全然なく畑作で主に換金作物として葉たばこ、三椏、こんにゃくを作った。主食は麦とか雑穀で、平均1戸当り年間米一俵、そうめん一箱を買った。(古老の話)戦中より米の配給があり米を食べるようになった。道路は立派になったが、若者は子供の教育とか、勤めの関係で平坦部へ移った。前には奥村全体で80戸近くあったが、今は30戸足らずとなった。生活は向上し豊かになったが、高齢者ばかりとなった。

行事

8月には持ち廻りで、お祭りしている。民家が近いので掃除は、ゆきとどいている。庵の近くの老女の話であるが、老いて身体の節々が痛くて歩行もままにならず、家事に追われて十分なお祀りができない。若い時、病気になっても、経済的な理由で医者にかかれず、ひたすら平癒を祈った。そして四季折々の物を供え、家内安全を祈った。ついこの間のことであった。






※写真をクリックすると大きい写真を見ることができます。

改築前の名称明合大師堂
現在の名称明合大師堂
所在地徳島県三好郡東みよし町中庄奥村東
現在の建物面積13.20平方メートル



Copyright 東みよし町商工会 All Rights Reserved.